家の近くの総合病院へ行く
父親が2月に肝臓がんの手術を受けた後にも、簡単には完治せず、特に胆汁の漏れは合併症としては良くあることらしいが、それにしてもいつまで経っても止まらない。
そして高熱なんかも出たりするので、またその市内唯一の総合病院に入院することになる。
これは、もしかしたら手術時のミスからくるものではないか?と徐々に疑い出す。
実はこの事については後日、主治医の方から謝ってきたらしい、父親は10ヶ月経った今でも、胆汁をパイプから外のビニール袋に排出してる生活を強いられています。
医者のミスはもちろん有り得て当然なのですが、その認め方がとても曖昧のような気がするのは私だけでしょうか?
とにかく父親がそんな状態の中で、3月の健康診断でPSAの数値が高いという事で、私も父親が治療する病院の泌尿器科に、健康診断を受けたクリニックに紹介状を書いてもらい4月に検査の予約をいれたわけです。
父親にも母親にも検査くらいで報告する段階ではなかったので、彼らには黙って同じ病院に通うことになるわけです。
ある時は通院しながらその足で父親の見舞いに行くとう(笑)、なんか不思議な事態になっておりました。
では4月の中頃に初めての診察にその総合病院に行くところから書いていきます。
なんか感じ悪いなぁ
そのT総合病院で改めて午前中から血液検査をしてPSAを測りました。当たり前だと判っていますが、特に初診というのは待たされ続けますな、仕方がないです。
ここまでPSA、PSAとさも分かったように書いていますが、この時点までその認識は曖昧でした、ネットでちょっと調べたくらい。
自分の気持の中では前立腺がんというよりも、前立腺肥大なのではないか?と思っていましたので、面倒なことにならなければいいなぁ、とそんな感じでいました、が、、
いざ診療室に入るとその河野外務大臣のような容貌の先生が入ってすぐに私に言ったのは確かこんな漢字です。
「PSAの数値、やっぱり高いですね。前立腺がんの疑いがありますがどうしますか?」
そしておもむろに一冊の冊子を渡し僕になんとなく読むように促しました、その冊子の題名が「前立腺がんのすべて」というタイトルでした。
その数ページをめくったところに、PSA7.0くらいはグレーゾーンと呼ばれているらしく、そのくらいの数値の人の方を調べると、前立腺がんに40%くらいが見つかると書かれていました。
それを見た瞬間から、自分が癌という病気とかなり接近した感覚を覚えました。
そして、その河野外務大臣似の先生は、
「生検というのをやらないとはっきりと癌かどうかは判りませんがどうしますか?」
というようなことをおっしゃった。
聞くとそれは一泊の入院で、おしりから針を刺して細胞を調べるという。
「それは痛いですか?」と聞くと、
「一応痛くならないように(何か)を塗るけど、痛みは個人差がある、若い人は痛む人が多いみたいです。」と軽く笑顔でおっしゃった。
それは嫌だなぁという顔を見たのかわからないが、
「とりあえず、次回はMRIを撮ってみましょう!影が写っていたらその可能性が高いので、そうしたら生検をしましょう。」
それは痛みが怖い自分にとって好都合だったので、次回はMRIでという話になった。
とにかくこの頃から私は、いかに真実を知るというものから避けるか?の方向に行きたがっていた事は確かです。
自分の人生に、それも50代にして「癌」という死のイメージがつきまとう病と向き合う場面が来てしまったという事実をまだ受け入れられない状態でした。