③ 前立腺ガンに近づく
いろいろ調べだす
お医者さんにそう言われて、パートナーにそれを話しをして、そこからはかなり真剣に前立腺ガンについて調べ始めました。
おそらくこれはどの癌の疑いのある方もすべからくなさる行為だと思います、何しろ死んでしまうかもしれない大病にかかったのですから。
そして、この癌という病気についての知識が当たり前なのですが大雑把なものしか無いということを痛感します。
お医者さんに2ヶ月の猶予を貰って、もう一度PSAの数値を計る約束をして帰ってきました。
なのでその間になんとかその数値を下げるための知識を得ようと必死でした。
いわゆる癌サバイバーは何をしているのか?
本やネットや、幸い僕はそういう情報を持っている方が周りにいましたので、何人かの方には相談しました。
その結果、その2ヶ月でやった事は、、
生活習慣を変える
とにかく癌があるとするならば、そいつを小さく、出来れば消してしまう身体にせねばならぬという事です。
そのためには今までの生活習慣を続けていたらいかんわけですから、癌にとっては嫌な生活習慣を探して実行しました。
僕が実行したのは以下のことです。
・お風呂に毎日浸かる
・今まで以上にウォーキングをする
・玄米、味噌汁、魚、野菜、中心の食事に変える
・糖質はなるべく取らない
・酒を飲まない
・深呼吸をする
・メンタルをポジティブにする
・オーガニックサプリの量を増やす
こんな感じです。癌細胞というのは誰の元にも必ず毎日出来ているもので、なぜそれが大きくなる人がいるかというと、免疫細胞が弱くなっているからなんですね。
なので、その免疫力をアップさせるための事、そして新たな活性酸素を生まないための行動がこうなった訳です。
知り合いの彼女も乳癌からのサバイバーですが、その健康知識に長けてる女性からきつく言われたのが、「お酒をやめなさい」でした。
これが一番ショックでしたね(笑)、ですが確かにこれらの事を実行していくと、お肌がツルツルになってきたり、便通が良くなったり、体脂肪や体重は如実に落ちましたし、身体の変化ははっきりと現れてきたのは確かです。
結論を言うと、これで癌が消えることはなかったのですが、これらの生活習慣の改善は今の自分にとっては良い教えになっていますので、
少なくともがんが見つかる前と同じ事をしていたらまた遅からず癌は出来るでしょうから、今後の生き方に活きたと思います。
② 前立腺がんの疑いから始まる
家の近くの総合病院へ行く
父親が2月に肝臓がんの手術を受けた後にも、簡単には完治せず、特に胆汁の漏れは合併症としては良くあることらしいが、それにしてもいつまで経っても止まらない。
そして高熱なんかも出たりするので、またその市内唯一の総合病院に入院することになる。
これは、もしかしたら手術時のミスからくるものではないか?と徐々に疑い出す。
実はこの事については後日、主治医の方から謝ってきたらしい、父親は10ヶ月経った今でも、胆汁をパイプから外のビニール袋に排出してる生活を強いられています。
医者のミスはもちろん有り得て当然なのですが、その認め方がとても曖昧のような気がするのは私だけでしょうか?
とにかく父親がそんな状態の中で、3月の健康診断でPSAの数値が高いという事で、私も父親が治療する病院の泌尿器科に、健康診断を受けたクリニックに紹介状を書いてもらい4月に検査の予約をいれたわけです。
父親にも母親にも検査くらいで報告する段階ではなかったので、彼らには黙って同じ病院に通うことになるわけです。
ある時は通院しながらその足で父親の見舞いに行くとう(笑)、なんか不思議な事態になっておりました。
では4月の中頃に初めての診察にその総合病院に行くところから書いていきます。
なんか感じ悪いなぁ
そのT総合病院で改めて午前中から血液検査をしてPSAを測りました。当たり前だと判っていますが、特に初診というのは待たされ続けますな、仕方がないです。
ここまでPSA、PSAとさも分かったように書いていますが、この時点までその認識は曖昧でした、ネットでちょっと調べたくらい。
自分の気持の中では前立腺がんというよりも、前立腺肥大なのではないか?と思っていましたので、面倒なことにならなければいいなぁ、とそんな感じでいました、が、、
いざ診療室に入るとその河野外務大臣のような容貌の先生が入ってすぐに私に言ったのは確かこんな漢字です。
「PSAの数値、やっぱり高いですね。前立腺がんの疑いがありますがどうしますか?」
そしておもむろに一冊の冊子を渡し僕になんとなく読むように促しました、その冊子の題名が「前立腺がんのすべて」というタイトルでした。
その数ページをめくったところに、PSA7.0くらいはグレーゾーンと呼ばれているらしく、そのくらいの数値の人の方を調べると、前立腺がんに40%くらいが見つかると書かれていました。
それを見た瞬間から、自分が癌という病気とかなり接近した感覚を覚えました。
そして、その河野外務大臣似の先生は、
「生検というのをやらないとはっきりと癌かどうかは判りませんがどうしますか?」
というようなことをおっしゃった。
聞くとそれは一泊の入院で、おしりから針を刺して細胞を調べるという。
「それは痛いですか?」と聞くと、
「一応痛くならないように(何か)を塗るけど、痛みは個人差がある、若い人は痛む人が多いみたいです。」と軽く笑顔でおっしゃった。
それは嫌だなぁという顔を見たのかわからないが、
「とりあえず、次回はMRIを撮ってみましょう!影が写っていたらその可能性が高いので、そうしたら生検をしましょう。」
それは痛みが怖い自分にとって好都合だったので、次回はMRIでという話になった。
とにかくこの頃から私は、いかに真実を知るというものから避けるか?の方向に行きたがっていた事は確かです。
自分の人生に、それも50代にして「癌」という死のイメージがつきまとう病と向き合う場面が来てしまったという事実をまだ受け入れられない状態でした。
① 前立腺がんだと診断されるまで
初めまして
ここでは自分の名前なのでITARUと名乗っておきますね、ちょっと変わった名前です(笑)。この他にも「変わるしかないんだ!」というタイトルのブログを書いています。
去年の3月にいつものように市の健康診断を受けました。それがきっかけで今回の前立腺がんの発見そして手術に繋がったので、ブログの日記とは別にこのことを整理して書き留めておこうと思いました。
年齢は53歳で妻とすでに結婚している2人の息子、そして去年今年と孫が誕生して、喜びもあり、
ところがその発見のきっかけの健康診断の今年の3月から、遡ること3ヶ月くらい前に、86歳の父親の肝臓がんが見つかったのです、おそらくその事も併記しながら話は進めた方が良いのかもしれません。
父親の話も交えながら、僕が前立腺がんになりHIFUという治療に到るまでを、このブログにたどり着いたご本人もしくはご家族の方のお力添えになれば嬉しいと思い書いていこうと思いました。
ただ、僕は自分で言うのもなんですが、一般的な人よりも健康の知識については詳しいし、オプティマルヘルス(最良の健康)を出来うる限りは意識してきたつもりです。
個人ビジネスを30年以上してきて、それを本業にできるまでにしました。
そして、オーガニックのサプリメントを始めとして水や空気の安全なものを扱ってきましたし、食についても添加物や農薬そして糖質過多にならぬような意識で過ごしてまいりました。
ただし、お酒は大好きでして(笑)、メンタルも変なところ正義感や倫理観が強く、人を許せないところがありますので、完璧ではないの承知していましたし、
今や癌という病気は2人に1人のこの国の現状ですから、自分の身にもあり得る話だとも認識していました。
そんな中である日からその「癌」という病気があれよあれよという間に「自分ごと」になっていく慌てようも含めて、僕がどんな心境でどんな選択をしていったか?を書いていきます。
前立腺がんは癌の中では比較的命に関わるものではないと言われていますが、そうは言っても古くはあの大隈重信卿から深作欣二監督や米長邦雄棋士や渡辺淳一などもこの病気で亡くなっている、そうです(笑)。なぜ「そうです」かは今後に書きます。
アースマラソンの途中でこの病気が判り外国で治療した間寛平さんなんかも、「死を意識した」と応えられています。
もっと重いとされる他の癌になっている方ももちろんですが、この「癌」という病気の特徴はまずは即座に「死」を意識せざるを得ないことだと思います。
そしてもう一つの特徴、それは、、
「確固とした原因及び治療法が誰にもまだ解明できていないこと」
なので非常に治療法や今後の生き方が悩みやすいということだと思います。
その「選択」において死に至った方もいるし、今元気に活動している人もいる。
凄く権威あるお医者さんの言われるがままで助かった方もいるかもしれないが、それ故に死を早めた人もいます、はっきり言っちゃいます。
ですからとてもリアルに死を意識しながら自己判断が非常に求められる病だと思うのです。
では僕の場合はどうしたか?という1つの参考にしてください。
今の状態を言うと、手術をして1ヶ月が経ち、術後初めての検診で、MRI上では綺麗に僕の治療法では「焼いた」という表現になると思いますが、お医者様の話では成功した「らしい」です。
まだ今後再発する可能性はもちろん有ります、というよりも結論を言うと「癌」という病気は誰のもとにも起こり得るし、日々がん細胞は誰にも生まれているわけです。
なので手術して「治った」という言葉は決して使いたくないです、今後のことは自分次第、これからの生き方、食事を含めた生活習慣次第だと思います。
そういう意味では、この病気が教えてくれた事には本当に心から有り難いと思えることがたくさんありました。
では、自分の経緯を追いながら少しずつ更新していきます。
先生が少し脅しをかけた(笑)
毎年、市の無料健康診断だけはもったいないので受けてきました。
父や兄などからは彼らがやっている人間ドッグのような綿密に病気を探し出すことを勧められてきましいたが、無視し続けておりました(笑)。
そもそも「早期発見が良い」というけれども、多くの歌舞伎役者を始めとする芸能人やスポーツ選手などの病気から死に至る経緯で、特に「癌の早期発見」によるものの例が多いことを感じていたからです。
血管や心臓、脳の詰まりや不調は知りたいが、癌は見つかってもその治療方法を選ぶことがとても難しい。
なので、ならないための事に重きをおき、なるべく見つけないという方向性でおりました(笑)。
うちの場合はパートナーの妻の方がもっとその傾向が顕著で、彼女は健康オタクといって良いほどで、サプリメント管理士の資格などもとっています。
なので、癌にかかった後の今後も積極的に探そうという気には今のところなっておりません。
ではなぜ今回は健康診断で見つかったか?というと少し心配なところがありまして、それは以前からの尿酸値が高いことと、この数年感じていたことは調べておこうかな?と思ったからでした。
実は以前から夜中のオシッコの回数が気になっていたので、今回は¥500のオプションで(笑)、前立腺のPSAという数値も調べてもらっていたんです。
夜中のオシッコについても、浄水を寝る前にしっかり摂る習慣があるので、そのせいで仕方がないと思ってもいました。
ですが、これだけ世の中に前立腺肥大と前立腺がんの方が増えてきているのは、自分だけは大丈夫だとか例外だとかを思えるほどの自信家でもなかったのです。
その結果を聴きにいった日から僕のドキドキが少しだけ動き出したわけです、その街のお医者さんは普段はとっても親しみやすく穏やかな方なのですが、
「PSAの数値が7.0ですね、これはきちんと調べに行った方がいいです!」
その後に前立腺がんなんかも怖いですからねとかなんとか言われたと思いますが、そんなことよりも穏やかな先生が少し脅しも入れてきたので、「これはちゃんと調べにゃあかんな。」そう思った記憶があります、面倒くさいことが始まらなきゃいいけど、、。
それが僕にとっての前立腺がんと始まりの始まりでした。
父親が肝臓がんと診断されて手術をした
実はもう一つそこには伏線があって、それは父親が肝臓がんになったことでした。
親父は先程書いたように、健康については結構意識の高い人で、人間ドッグだけでなく、サプリも摂りスポーツジムも週3回は通う人です。
なので86歳になっても肌艶は良いし、年に1度は1人でスキーに行くんです!
その父親が検査で肝臓がんだと診断されて、まあ80代後半まで癌にかからなかったのもすごい話なんですが、そうは言ってもショックだったようです、そうなんです、癌という病はいくつになっても本人にも家族にもショックを与え、死を意識させるものなんです。
そして親父がとった判断は、病院は近い市内唯一の大学総合病院にする。
そこの肝臓がんの権威の先生がラッキーにも主治医なのでその先生の判断にお任せする。大まかに書くとそういう方向性であったと思います。
そしてその主治医の先生が得意とする外科手術をすることに決めたのが去年の12月、手術は2月に行うことになりました。
そして8時間にも及ぶ手術のすえ無事?切り取られ、僕ら夫婦と兄は希望でその切り取られた見事な肝臓を見て帰ってきたわけです。
その後の父親のことも今後は書いていきますが、今の時点では管はついてる状態ですが歩いて生活ができております、まあいろいろと問題がある訳ですが、、。
とにかく僕の健康診断の1ヶ月前に父親が肝臓がんの手術をしたことは、少なからず僕が前立腺の検査をしたことと無縁ではないと思います。
ではその後どうなっていくかを今後は少しずつになるかもしれませんが書いていきますね。
そしてHIFUの治療を前立腺がんがわかり悩んで検索している方がいるかもしれませんので、結論を先に書いておいた方が良いと思われますので、、
お金が保険適用されないので100万円ほどかかりますが、もしそれを出しても良い、そして後遺症があまりなく性機能をまだもっていたいという方、
今の時点の状態でしか申し上げられませんが、僕はやって良い手術だと思います。
いろいろ排尿障害などやっかいなこともありますが、おそらく他の方法よりも軽いです、そして僕の場合はすでに性機能も回復してきています。
僕は因みに東海大学八王子病院で知慮をしました。
それではまた。